江戸時代の食事「山盛りご飯!漬物!味噌汁!」
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江戸時代の主婦はガチで大変そうやな一日家事で終わるやろ >>56
玄米じゃなければ余裕
もろみ味噌美味そう! 米あんま食いたくないワイからしたら地獄やな
酒と干物と漬物でええわ 大名は庶民の食べ物の天ぷらや寿司の屋台に気安くいけないけど
美味しいからこっそり身分隠して食べに行ってたみたいやな 1日3食が定着したのも江戸時代の途中くらいからみたいやな
それ以前の人間とか腹減って倒れたりしなかったんやろか 昔の人って大した食料ないのにたまに恵体が出てくるの何なんだろうな >>51
ターヘル・アナトミアと解体新書の比較してたとき関連資料として出てきた書に書いてあって偶々記憶してただけや、蟻が叢がる(群がる)とか書いてたような 独身男性が多いから
煮売屋(惣菜屋)、居酒屋、一膳めしや、蕎麦屋なんかで食ってた >>56
たまにこういう食事してみたいね
塩いらない >>45
夏は甘い水に白玉を入れた冷や水とかあるで
あと飴湯もこの頃かもうちょい後に始まってたはず 現代人が昔にタイムスリップor転生したときに特にキツそうな要素はやっぱ医療技術の低さやろね >>68
恵体いうても身長は今と比べてだいぶ低かったんやろ?
あとなんやっけ、飛脚みたいな仕事してる人達の大量が化け物だってオランダ人達が驚愕してたんだっけか >>59
専業ばっかりと見せかけて実はパート行きまくりやぞ 日常の献立
北条時頼→玄米飯・味噌汁・大根味噌漬・焼き鰯
楠木正成→玄米飯・味噌汁・蕪の漬物・煮豆・芋の煮物・山鳥の焼き肉
武田信玄→玄米飯・味噌汁・ごぼう味噌漬・凍豆腐の煮物・大根煮しめ・塩焼き鰤
徳川家康→麦飯・味噌汁・大根味噌漬・芋の煮物・煮魚
記録にある感じだとこんなもんみたいやな >>67
大火の復興の際に大工や左官が昼食とってたのが始まりとかいう説あるね >>75
モモンジ屋つって獣肉を食わせる店があった
農村では当然食ってた 長屋住まいの独身弱者男性同士で春画を貸し合ってシコってたとかなんかいいよな 徳川吉宗の時代は現代と似てて
「質素倹約するわ」
つって財政政策全くやらなくなったから江戸に人口が集中して、結婚しなくなって、少子化になって、老人ばっかりになった
老人ばっかりになって歯が悪い人が増えたからうどん、豆腐とか噛まなくていい料理が発達した >>67
明暦の大火で江戸に集まった大工が2食じゃ足りなくて3食食べてたのが広まったんやなかったかな
まあ世界中で2食が基本やったみたいやし1食でたくさん食べてたんやろ >>82
ただまあそれ以前も合戦やら大規模な仕事やらがあるときは3食以上のケースもあったみたいやね >>71
質素なんだけどなんか美味そうに見えるよね 脚気と塩分過多の食事で早死が多かった
>>42
江戸時代の人骨普通に虫歯だらけだよ
江戸は梅毒患者も多くて骨に痕跡残ってる >>75
童謡「あんたがたどこさ」では
仙波山で狸撃って煮て食うってあるから
食ってたんだろうな 肉食については地域差とかいろんな条件差もあって狩猟で得た肉はOKで家畜を殺して得た肉はNGみたいな風潮とかもあったみたいやね >>84
何とか百珍ってレシピ本に書いてあるらしいな
あれ現代翻訳版欲しいわ ふりかけないかごま昆布とか鮭フレークがないとご飯食べまくるのは中々きついわ
ワイって現代っ子なんやなって 意外にもこんな食事で糖尿病にはならなかった…
ならなかったの? >>75
アナグマ定期
雑食の狸は臭くて無理や ちな同じ穴のムジナは元狸の巣にアナグマが住み着いてるから来てる説あるで 当時は芋は食べなかったんか?
いっぱいとれて腹膨らみそうだが 昭和時代は食事中に水を飲むのは行儀が悪いみたいな風潮もあったってマジ?
味噌汁があるからそれとは別に水はNGとかなんとかで 江戸初期までギリギリ残ってたミリ飯の芋がら縄と兵糧丸は皆一度作ってみてほしい >>85
江戸やと社会的強者の武士もそうやぞ
「殿様や上司が貸本屋から春本借りてて羨ましい」とか日記に残してる 江戸時代っちゅうか江戸の貧民食だろこういうの
農村部はまた違う >>99
サツマイモは飢饉の際の救済作物として奨励されたんじゃなかったか
吉宗のときの青木昆陽の話からするし >>77
飛脚はアスリートみたいなもんやない?引退早そう 今では国鳥とかいって珍重されるトキも江戸時代くらいには数が多い上に穀物を荒らす迷惑な害鳥扱いだったらしいな
食えないこともないけど似ると汁が赤く染まってグロいからまともに明かりがある状況下ではとても食えないと敬遠されてたとかで 「江戸時代の食事」と「江戸の食事」との区別がつかん頭悪いの多すぎやで >>97
その分動くから
どこに行くのも徒歩だから、10km20kmとか平気で歩いてた 飲食店が出来たの江戸時代のだいぶ後半ちゃった?
忠臣蔵で出てくるけどあの時代の蕎麦屋はないってテレビで見たわ >>97
車も鉄道も無いし肉体労働が多いから差し引きカロリーではそんな余剰は出ないんとちゃうか
皆が皆こんな大盛り食ってた訳でも無いし 昔の食事とかって現代の食材でアレンジして作ったらうまいだろうけど品種改良されてない当時の食材で作ったら微妙なもの多いんやろなと思う >>99
煮っころがしとかやな
日々徳用倹約料理角力取組って庶民の倹約料理にもちゃんと乗ってるで
https://i.imgur.com/6sCBtvJ.jpeg どこまで事実なのかはわからんけど
江戸時代に無人島に漂流した人らの小説で
無人島から自力で脱出して日本で夢にまで見たおかゆ出してもらったけど
長年食ってなかったから身体が受け付けんようになってて吐いちゃって泣く
いうシーンでもらい泣きしたわ >>101
芋がら縄は味噌で煮しめてて、即席みそ汁になるんだっけ 日本史って大人になってから学び直すとまたおもしろいな 庶民は魚すらめったに食えなかったらしいけど
なんでそこら辺の川で釣ってこないの? 昔の時代にブルーギルとかブラックバスいたら飢餓になってないし戦争ももっと強かったやろな うちの爺ちゃん甘い物を滅茶苦茶食ってたが糖尿病にはなってなかったな
やっぱ畑仕事で身体動かしまくってたからかな >>111
一応江戸時代の初期だな
それ以前はそばがき 味噌や塩や醤油はどれ位の価値やったんやろな
この辺が充実しとらんと大量の米を消費できんやろ >>104>>108
これ
このスレで語ってるヤツらのほとんどは江戸の町民だろ >>122
どじょうとかうなぎは江戸近郊でも獲って食ってたで
川魚は田舎じゃないと難しいやろ >>110
飢餓状態なら美味いのかもしれない…現代人が食うものでは無かった、あとめっちゃ繊維が歯に詰まる
>>116
そう
お湯で溶けばなんとか噛み切れた 川いっぱいあるし海も近いんやから魚はもっと庶民の家でも食えてもええのにな >江戸末期、江戸市中のそば屋の数は3760店を超えていたそうです。
屋台も含めると、もっとあったかもしれません。
今より多いなw >>122
川が今と違って整備されていないし泳げないで魚取るにも要スキルやからや >>111
飲食店ってそんなに存在しないからうっかり街道から外れた田舎町とか行くと飯が食えなくて餓死寸前になるらしいな >>119
ワイは辻田真佐憲の「戦前の正体」って本が日本史研究の本で久々に大ヒットやったわ とくに江戸はほぼ男しかおらんから酒と喧嘩とセックスばっかやったらしいな てか結婚率低かったから男やもめ多くてみんな外食だったぞ マグロが猫跨ぎって呼ばれて忌避されてたのホンマ勿体ない
捕獲出来る技術あったんだからあとは保存技術があればねえ >>134
まあ今だとラーメン屋みたいなもんやろな >>113
飯の不味さは基本過去に行くほど酷くなる一方や思うわ両親→祖父母→曾祖父母って遡っても戦時中抜きにしても皆昔の飯は不味かったが基本見解やし >>119
学生の時は年号暗記するだけで
死ぬほどつまらなかった
世界史赤点取って文系諦めたわ お前ら博識やなぁ
歴史は興味なかったが食の事は聞いてて結構おもろいわ 江戸時代から白米って言われてるけど江戸から帰るとみんな脚気が良くなるって言われてたのは
江戸だけなのかな白米が当たり前のように食べられたのは
みんな玄米や麦飯だったのかなあ 沖合から速い小型船に積み替えて急いで持ってきても
今の感覚ならうーんって鮮度やしな >>111
醤油が庶民に出回り始めたのは江戸中期からやからな
最初のほうは煎酒で食ってたらしい >>114
すぐランク付けしてたんだってな
参勤交代で上京してくる大名とか >>142
マ?
トロ以外は普通に寿司として食ってたって昔聞いたことあるんやが >>127
>>127
塩は当時は入浜式製塩方法が主流になったから、
江戸の消費量の大半を賄えるようになったらしいな >>148
弥次喜多コンビが同性愛関係だったという話 >>151
ワイの実家は今も市販の煎酒使ってるわ
出汁効いてて割と何にでも合う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています